「合気道 修行の日々」カテゴリーアーカイブ

先日の合気道の稽古。関節技掛けられまくり。人格形成と優しさ。

先日、合気道の稽古へ行ってきた。

前回は相手を崩す所までやったが
今回は相手を崩して
最後に合気道の関節技を掛けるところまで稽古した。

合気道は準備運動の手首の運動の際、
関節を柔らかくする目的もあるが
関節技をどのように掛ければ掛かるか
自分でも理解できるように手首の関節技を掛ける動作が
手首の運動の中に入っている。

今回、最後の方は関節技の稽古が中心になり
先輩に関節技を掛けたり掛けられたりの
繰り返しが行なわれた。

正直、
「剣道で竹刀を握る時に影響でないかな~」
と思いながら稽古していたが全く影響なかった。

合気道は、一人では稽古出来ない。

必ず誰かに相手をしてもらい
その相手に自分の稽古の協力をしてもらいながら
稽古する事になる。

だから先輩であっても後輩であっても
お互いが稽古になるような稽古のやり方をする。

自分勝手な人は、成長しないように出来ている。

でも、それはどの武道も同じだと思う。

自分だけ強くなれば良いとか
自分だけ成長すれば良いという人間は、
必ず頭打ちが来る。

相手が居て自分が居てお互いが成長するために稽古する。

それが武道は人格形成に役に立つと
言われている理由なんだと思う。

それにお互いに成長するためには
相手に対して
「お互いに成長するために頑張ろう!」という
優しさが必要になる。

戦いは相手を倒すために戦うもの。

だけど稽古は、共に成長していこうと
一見、戦いとは真逆なところもある。

合気道は、そういう部分を
理解するのに、
とても最適な武道だと私は思う(^-^)

先日の合気道の稽古。全くぶつからない技術と身体全体を使うと言う事。

先日、合気道の稽古へ行った。

初心者教室という事と私が経験者である事で
先生方が交代で様々な技を掛けていただき
技の理合も深いところまで説明して下さるので
とても勉強になる。

以前、学んでいた所では
今回参加している教室のような説明はなく
比較的簡単は技を見て
それを繰り返し稽古するだけだったので
無意識に合気柔術の理合いで
技を掛けてしまっていた部分もあったと
今回の教室に参加してみて気付いた。

だからこそ今回の教室は、とても良い刺激になっている(^-^)

それに先生方も
とても面白くて教え方が上手い方が揃っている。

人数が多いのも分かるように気がする。

人が集まるかどうかや人が育つかどうかは、
代表の先生の人柄や他の先生方の人柄だと思う。

もちろん人数が少ない武道団体でも
良い先生や先輩もいる。

私は気にならないが先生方や先輩方の
戦いの意識が強過ぎて
逆に初心者は引いてしまっているのかも知れない。

ちょっと恐い、とか・・・。

そんな事、言ってたら武道の稽古へ参加出来ないけどね。

稽古に参加する度に段々身体が動くようになっているのを
実感している。

合気道って本当に楽しい。

姿勢や意識、身体の向きや微妙な動かし方など、
ちょっとした事で技が掛かったり掛からなかったりする。

それに筋肉の力を使えば使うほど技が掛からず
筋肉の力を使わない方が技が掛かる。

そこが面白い。

次回も楽しみながら合気道の稽古をしようと思う(^-^)/

先日の合気道の稽古。改めて力まない事の大切さ。

先日、合気道の稽古へ行ってきた。
改めて力まない事の大切さが分かった。

体術からかなり離れていたため、
相手に掴まれた時など
無駄な筋力を使わず身体動作を行なう感覚が
少し鈍っていたみたいだったが
合気道を稽古していたら脱力の感覚がすぐに戻った。
相手が力んでも自分は力まない、
この感覚は理解していても

普段から相手がいる相対稽古をしておく必要がある事にも
改めて気付いた。

ここ数年武器術が中心だったが
体術を改めて学び直すと

元々自分に身に付いている感覚が
どんどん戻ってきて
とても良い感じだ(^-^)

相手とぶつからない、争わない
和の武道である合気道。

今の私の心には必要なもの何だな~と最近、感じている。

暖かい心を持ちつつも強力な強さを持つ事の
バランスが取れた状態が
私にとって一番、理想的な状態。

両方とも高めていこうと思う(^-^)